渋沢栄一と徳川家、600年越しの「血脈と因縁」とはいったい何か?【7】
渋沢栄一の故郷・血洗島から5キロほど。利根川を挟んだ対岸に「世良田(せらだ)東照宮」という神社がある。名前でピンときた方もいるだろう。実はこの一帯、世良田という地は徳川家発祥の地だという。
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渋沢栄一の故郷・血洗島から5キロほど。利根川を挟んだ対岸に「世良田(せらだ)東照宮」という神社がある。名前でピンときた方もいるだろう。実はこの一帯、世良田という地は徳川家発祥の地だという。
これもご説ごもっともではあるが、これまでの性豪ぶりを知ってしまうと、苦笑いしか出てこない。もっとも、こういう完全無欠の聖人君子でないところが、むしろ渋沢栄一の魅力だったと語る人も少なくない。こうして苦笑いやツッコミが入るのも承知の上なのかもしれない。ちなみにこの家憲、毎年正月には一族揃ったところで読み上げるのが恒例だったそうで、兼子令夫人はどんな顔でこれを聞いていたことやら……。
金融・経済の面ではロスチャイルド家が主導権を握るフリーメイソンの力を借りつつ、合本主義の建て付けや民間外交においては「もうひとつのフリーメイソン」の知恵や人脈を活用する。こう見ると、「渋沢栄一はフリーメイソンの傀儡だった」というよりは、うまく利用していた印象が強い(もっとも、渋沢亡き後の日本が国際金融資本やフリーメイソンの軛から逃れらたかは別の話だが……)。
日本と米国、二つの中央銀行設立に関わっていたと考えられる渋沢。となれば、渋沢がフリーメイソンやそれを裏で操るロスチャイルド家の傀儡だったという都市伝説も「本当なのでは?」と思う方も少なくないだろう。しかし、今回、調査を進める中で、こうした話を根こそぎひっくり返すような新事実の断片が次々と見つかった。ひと言でまとめるなら、「渋沢栄一はフリーメイソンやロスチャイルドすら手玉に取った深謀遠慮の男だった!」
「日本経済が秘密結社や国際金融資本の支配下にある原点は渋沢にある」といった都市伝説が語られる。しかし、そもそもフリーメイソンやロスチャイルド家は、渋沢を通じてどうやって日本経済を支配しようとしたのか? そして実際に渋沢が彼らの意を汲んで活動した証拠はどこにあるのか? 次回中編では、その点について紐解いていく。