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ユダヤ文化と日本:京都の御所内とエルサレムには同じ紋章がある!
ガリラヤ湖近くの南西にエルサレムは位置していますが、京都も琵琶湖近くの南西に位置しています。
ガリラヤ湖は、古代ではキテレネ湖と呼ばれ(旧約聖書ヨシュア記第12章)、ヘブライ語でキテレネとは弦楽器の琵琶を意味し、同じく琵琶湖と呼ばれていました。
京都は、794年に平安京がつくられて以来、永く日本の都でありましたが、ご存知の通りエルサレムはヘブライ語で、平安の都という意味です。
この写真は、京都の御所内の 「昼居所」 で、天皇が昼間居る場所です。 正面には天皇が座る椅子がおいてあり、カーテンまであり、仏教的というよりも、
私は中近東的なイメージを持ってしまいます。
入り口には、獅子と一角獣が天皇を守っていますが、これは、ユダヤに特徴的な組み合わせで、北イスラエル王国のヨセフ族の紋章が一角獣で、
南ユダ王国の紋章が獅子であります。
ユダヤ系金融財閥のロスチャイルド家の紋章と、天皇家の紋章も同じくこの組み合わせの獅子と一角獣に盾が支えられているデザインです。
また、天皇家の菊の御紋は、古代エジプトのツタンカーメン王、シュメールの王、ヘロデ王の紋章であり、エルサレム宮殿にもこの紋章がかかげられています。
世界の王族で、この菊の御紋の紋章が使われているのは、現在は日本の天皇家だけであるようです。
平安京建設に当たり、資金面と土木工事での最大のスポンサーは、渡来人の秦氏であることが知られており、謎の多い秦氏ではありますが、
古代ネトリウス派キリスト教のヘブライ人がそのルーツであるという説があります。
最も有名な秦氏に、広隆寺を建てた秦河勝がいますが、彼は聖徳太子に仕え家庭教師役でもありました。
聖徳太子が、馬小屋で生まれたという伝説は、いかにもキリスト教の影響を受けているようですし、法隆寺を建立した聖徳太子は大工の祖とされ、
今でも「太子講」と呼ばれる組織をつくっている大工さん達は多くいます。
ここでも、馬小屋、大工のキーワードはキリスト伝説、またエジプトのピラミッドを設計・建設したユダヤの大工組織が元となった「フリーメイソン」にも似た物があります。
秦氏が、古代ネトリウス派キリスト教のヘブライ人であったならば、
天皇家の偉大な聖徳太子伝説に、キリスト伝説を重ね合わせて、
話を創っていったとしても不思議ではありません。
神道は、起源が不明で縄文時代からあったとされていますが、
日本の神社は秦氏によって建てられたものです。
全国にある八幡宮は、秦氏がつくったもので、その中心は九州の宇佐八幡宮ですが、
民俗学大家の柳田國男氏によれば、宇佐八幡宮や他の八幡宮には、
もともと聖書もしくは古代キリスト教との深い関係があるそうです。
宇佐の大神も、大隈正八幡の古伝によれば、
マリヤと同じく神からの告知によって受胎した処女であったとされており、
八幡信仰の始まりは、薦神社の御澄池に伝わる伝説で、
大昔に清く澄んだ湖水の中から美しく幼い男児が姿を現し、
岸辺に茂る水草に立ち、「われこそはヤハタの神である。
わが為に薦草で方舟の枕をつくり、ご神体とせよ」と告げた話は、
エジプトで美しく幼い男児のモーゼがナイル川の岸辺の葦の中に、
葦草でつくった方舟に寝かされていたという、
旧約聖書出エジプト記第2章の話とそっくりです。
さらに、860年に京都につくられた岩清水八幡宮に伝わる伝説も、源頼義が奥州合戦の際に、水がなくて兵士達が苦しんでいたので、
彼が石清水八幡宮に祈って、岩を突ついたらそこから清水が湧き出したというもので、イスラエル人が荒れ野で水が無く苦しんでいたとき、
モーゼが神に祈って岩を突付くと清水が湧き出た話(旧約聖書出エジプト記第17章)と、そっくりの話です。
古代イスラエルの聖櫃(契約の箱)にそっくりな、移動式の神殿であるお神輿は八幡神社でできたもので、文献上では749年に宇佐八幡宮から、
お神輿が上京したというのが最初です。
また、秋祭りでお神輿を担いで川に入りますが、これはヨシュアのヨルダン川渡りの話であるように思われます。
また、愛媛県今治市沖の大三島にある、大山祇神社と呼ばれる古い神社がありますが、
ここで行われる神事の「ひとり相撲」は、神様を相手に相撲をとると言うもので、
世界的にも珍しい物であります。
これは、まさに旧約聖書にでてくるヤコブ(後イスラエルの名をもらう)が神の使いと格闘した話を連想させる物です。
このように、我々日本人の文化習慣、神社にまつわる伝説などは、
日本固有の物のように思われがちですが、旧約聖書や新約聖書に書かれている記述と一致する物が多くあり、
文化的にはユダヤ、キリスト教の影響を、古代から大きく受けているのではないでしょうか。