51.アドラーの教えでは本当の幸せは 「普通」 の中にある  

51.アドラーの教えでは本当の幸せは 「普通」 の中にある

前回、 「特別であろうとする人」 について、お話ししました。
それでは、その理由は、何なのでしょうか。
この本には、「普通である自分」 が受け入れられない。
だから、 「特別によくある」 ことが、くじかれると 、「特別に悪くある」 ことへと、極端に飛躍すると、書かれています。

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「特別であろうとする人」 は、精神的に不安定な人が、少なくありません。
私が、これまで関わった人の中には、精神安定剤を常用する人も、複数いました。
すると、 極端な躁 (そう) 状態と、極端な鬱( うつ) 状態が、交互に現れます。
躁状態の時は、極端な浪費に走り、鬱状態の時は、絶望的な気分になるなどの、傾向も見られました。

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以前、お話ししたとおり、現実社会には、白もなければ、黒もなく、あるのはグレーのみ。
ただし、限りなく白に近いグレーから、限りなく黒に近いグレーまであります。
どのグレーなのかを、見分けるのが、知恵の発揮どころです。
ところが、 極端な躁と鬱しかなく、中庸部分、つまり 「普通の部分」 が欠落していると、微妙な判断が困難 になります。

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ところで、 「特別な人」 と 「特別であろうとする人」 は、当然ながら、違います。
私も、過去に、数名、 「特別な人」 に出会いました。
何が特別なのかというと、才能です。
「超越している」 という言葉が、妥当でしょう。

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しかし、 「特別な人」 たちの多くは、 「普通の人」 としての生活を、大切にしています。
家族関係や、友人関係にかかわらず、他人との関わり方についても、普通であろうとします。
それは、 本当の幸せが、 「普通」 の中にあることを、理解している からでしょう。
おかげで、 「特別であろうとする人」 よりも、一見、 「普通」 に見えるものです。

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「特別であろうとする人」 は、その部分がわかっていません。
だから、 「特別な人」 になれば、他人に威張ったり、自分だけ得をしたり、他人から尊敬され、それが幸せだと、信じています。
そもそも、 自分が 「特別な人」 かどうかを、判断するのは、他人 です。
それを演技によって、実現させようとするのは、 「課題の分離」 ができていない証拠、ではないでしょうか。

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