もくじ
日ユ同祖論
日ユ同祖論(日猶同祖論、にちゆどうそろん)は、日本人の祖先が2700年前にアッシリア人に追放されたイスラエルの失われた十支族の一つとする説。
但し、ユダヤ人(古代イスラエル人のうちのユダ族、ベニヤミン族、レビ族)ではなく、ユダヤ人と共通の先祖ヤコブを持つ兄弟民族である。
英ユ同祖論など、ユダヤ人と他民族文化を関連づけて論じられるユダヤ人同祖論のひとつ。
「日ユ同祖論」の解説
1932年11月に、淀橋教会で「聖書より見たる日本」という聖書解釈の連続講演を行う。
その中で、中田は教職は個人伝道や教会形成をすることよりも、キリストの再臨とユダヤ民族の回復のための祈りが優先事項である主張した。
この中田の主張を受け入れる教職、信徒もいたが、米田豊ら五教授たちは批判的であった。
1933年(昭和8年)1月に聖書信仰連盟が大阪の自由メソヂスト神学校(現、大阪キリスト教短期大学)で設立され、中田が理事長に選ばれた。
しかし、この年の秋に起きたホーリネス分裂事件の混乱で、実質的な働きをすることなく消滅する。
1933年4月に、中田は昭和天皇から観桜会に招待されて、夫婦で参加している。
「民間語源」の「日ユ同祖論」の解説
「日ユ同祖論#ヤマト言葉とヘブライ語の類似」も参照 日本語にはヘブライ語が多数入り込んでいるというもの。
川守田英二は、日本語「ジャンケンポン」はヘブライ語「ツバン・クェン・ボー(隠す・準備せよ・来い)」であり、これは「キリスト教の一切を語る秘儀」を表現しているといった説を唱えた。
そのほか、「威張る」は「バール(主人)」、「さようなら」は「サイル・ニアラー(悪魔追い払われよ)」、「晴れる」は「ハレルヤ(栄光あれ)」、
ありがとうは「ALI・GD」(私に(とって)・幸運です)であるなどと主張した。
そのほかにも、京都の「祇園(ぎおん)」は「シオン」であるとか、「イザナギ・イザナミ」は「イザヤ」であるなど、同様の説は後を絶たない。
「ガド族」の記事における「日ユ同祖論」の解説
小谷部全一郎は著書『日本及日本国民之起源』の中で、天皇をあらわす「ミカド」がもともと「ミガド」と発音されて、「御ガド」であり、ガド族にルーツがあると主張した。
また、ユダヤ教のラビサミュエル・グリーンバーグは、「ミカド」がヘブル語の「ガド族出身」の意味であるとして、皇室のルーツがガド族であることを主張している。
任那は「ミ?マナセ=マナセ族の出自」と解せられる。「日本」や「ジャパン」という呼称もガド族の「ゼポンびと」から出ているものと思われる。
ゼポンとは英訳の聖書より訳したもので、ユダヤ人はゼを発音することができないという。
このため、ジェポン、ジャポン、ニッポンとなったと推測されている。
これらから、日ユ同祖論者は皇室のルーツをガド族にあると主張してきた。
しかし、近年、主流の学説では否定されている。
飛鳥昭雄は、ガド族の一支族がマナの壷を継承し、それが、
日本にもたらされ伊勢神宮の外宮にあるという説を唱えている。
「エフライム族」の記事における「日ユ同祖論」の解説
久保有政は、天皇家のルーツをエフライム族の王家であるとしている。
※この「日ユ同祖論」の解説は、「エフライム族」の解説の一部です。
「日ユ同祖論」を含む「エフライム族」の記事については、「エフライム族」の概要を参照ください。
「左近義弼」の記事における「日ユ同祖論」の解説
きよめ教会の機関紙「きよめの友」(1948年5月10日)に、生田目俊造の「神秘日本」という題の投稿が載り、その中で
「A学院のS博士が八咫の鏡に古代ヘブライ文字が書かれており、我はありてあるものなりと刻まれていたのを確認した」という話が掲載されている。
これは、左近が見たものを中田重治に伝え、それを生田目が中田から聞いたという内容である。
この話はきよめ教会系の教団である、基督兄弟団、基督聖協団では有名な話である。
しかし、この投稿記事が出た時点では、中田も左近も故人で、事実の検証不可能であった。