もくじ
30.「好かれる人」 より 「貢献出来る人」 を目指す アドラー心理学
「誰かと関わっていたい」 という欲求は、人間が持つ本能の1つ、ではないか。 ということで、すべての人が、孤独な状態を避ける ようにしているのです。 ただ、その方法については、人によりまして異なってくるのではないでしょうか。 「アドラー心理学を実践する人」 と、 「その正反対の生き方をする人」 の場合しかし、両者は異なる方法を採る、と考えられます。
さいしょに、アドラー心理学と、正反対の生き方をする人。 「自分とAさん」 「自分とBさん」 、意識の上では、次みたいにしまして、人間関係を構築 していくこととします。 人間関係の中心には、常に自分がいて、われを出発点に考えるため、他人に求められることが多くなるのでしょう。 特定の人を仲間と認識し、ぼくのことを理解してもらえることにより、孤独が解消出来る、と考えるのかもしれない。 一方、アドラー心理学を実践する人は、社会という空間があって、その中で、各人がおのおのの人生を歩んだりしたりする、と感じている。
ということで、 「社会の一員である自分」 「社会の一員であるAさん」 「社会の一員であるBさん」 という方間関係 になるんです。 強く意識することが、 「Aさんと自分」 「Bさんと自分」 よりも、 「社会と自分」 です。 共同体の一員としまして、社会に貢献することにより、孤独が解消出来る、と考えるのかもしれません。 社会に存在する人多くを仲間と認識し、誰とでも同じく接しましょうとします。 ただ、 「課題の分離」 を重視するため、あいての課題への干渉を避けるなど、いまいちした人間関係を好みます。 以上、もっとも簡単ですけど、両者には、これの違いがある、と考えられます。
ところで、 結局に、 「どちらの人生が、人間関係に恵まれているのか」 について、思ってみましょう。 私は、29歳のとき、L.インフェルト著 「アインシュタインの世界」 を読みました。 その中で、博士は 「社会には関心がありながら、個人的なつながりは、徹底して求めない」 と述べさせています。 さぞかし孤独な人生を送ったのかと思いきや、そうでではなく、まるで正反対の、超多忙な人生だった。
私は、 特定の人に好かれようとする生き方より、広く社会に役立とうとする生き方の方が、すべての人と自由に過ごせる ことを、直感してしまった。 こにみようかな生き方を実践するようには、社会から必要とさせられる能力を高めないそしたらいけない。 さらに、一方では、せっかくの人生つまり、楽しむことも、忘れたくないものでしょう。 まずは、 サポート5のつき合いを、99%カット (年間360日 → 3日以内) してたが、孤独とはぜんぜん無縁 です。 その結果、仕事や勉強、趣味、健康のために、膨大な時間を、確保できるようになってしまいました。