熊野本宮大社の八咫烏と神武天皇とアレキサンダー大王の話は似ている

ユダヤ文化と日本:熊野本宮大社の八咫烏と神武天皇とアレキサンダー大王の話は似ている

八咫烏(やたからす)  熊野本宮大社
http://www.yatagarasujinja.net/
http://www2.ocn.ne.jp/~sanzan/NTTcontents/hongu/

神武東征の際、天照大神によって遣わされ、熊野国から大和国への道案内をした、3本足の八咫烏ですが、この話は、ギリシア神話とアレキサンダー大王東征の話が伝わってきたものと思われます。

ギリシア神話では、カラスは太陽の象徴、もしくは太陽神の遣いとされ、太陽神アポロンのカラスが有名で、最初は白い色をしていましたが、後にアポロンの怒りを買い、黒くなったとされており、3本足であります。

旧約聖書のノアの箱舟では、水が引いたかどうか調べるために最初にカラスを放ちますが これは、カラスは飛んでいったきり帰ってこなかったので、

しばらくしてノアはハトを放ち、ハトはオリーブの枝をくわえて帰ってきたので、ノアは水が引いたことを知りました。  帰ってこなかったカラスは太陽を目指してどこまでも飛んで行ってしまったといわれています。
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またアイヌの神話では、神が世界を作ろうとしたとき、魔物が邪魔をして太陽を飲み込もうとしましたが、そのとき、カラスが魔物ののどに飛び込んで、のどをつまらせ、世界を救います。

カラスは一度世界を救ったことがあるので、何をしてもいいと思って、人間の食べ物を盗んだりするようになった。  と、カラスと太陽にまつわる神話は、世界各地にあります。

いずれの話も、カラスが太陽の中に飛び込んでゆきますが、これは太陽の黒点が、3本足のカラスに見え、太陽に住んでいると考えたのだと思われます。

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ご存知、アレキサンダー大王は、紀元前4世紀にマケドニアの王子として生まれ、幼少期には家庭教師として、哲学者アリストテレスに学び、若干25歳にして史上最大の世界帝国の王として君臨し、わずか33歳でこの世を去りました。

アレキサンダー大王

「プルターク英雄伝」にアレキサンダー大王とカラスにまつわる伝説があります。  アレキサンダーが世界帝国を築くきっかけとなる東方遠征を行ったのは、紀元前344年で、イッソスの戦いに勝ったアレキサンダーは、そのまま地中海沿岸沿いに南下、アフリカ大陸に侵攻し、エジプトを征服しました。

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古い歴史を持つエジプトですが、クレオパトラにまでつながるプトレマイオス王朝(紀元前306年 – 紀元前30年)は、アレキサンダー大王の死後、部下のプトレマイオスが首都をアレキサンドリアにして創始した王朝です。

エジプトに勝利したアレキサンダーは、自らファラオになる事を決意しますが、エジプトにおけるファラオとは、太陽神アメンの子供を意味し、ファラオに即位するには、太陽神の息子として認められる必要がありました。

そこで、アレキサンダーはリビア砂漠のオアシスにあるシヴァに向かいます。 シヴァにはアメン神殿があり、ここで託宣を受ける必要があったのです。

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しかしながら、途中ですさまじい砂嵐に巻き込まれ、ついにアレキサンダーの一行は道を失い、立ち往生してしまします。

そこに天空から一羽のカラスが現れ、アレキサンダーをシヴァのオアシスまで導き、無事アメンの託宣を受け、ファラオとして即位できました。

このように、太陽神、カラス、大王というワンセットの話は、ユーラシア大陸全般に存在しており、アレクサンダー大王の話が各地に伝わったのだと考えられます。

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記紀神話において、八咫烏(やたからす)の話がでてくるのは、神武天皇の東征の場面で、九州を発ち、東へ向かった神武天皇は、現在の大阪辺りに上陸しますが、

先住民の長脛彦の軍と全面戦争になり、一時は退却。  敗因を占った結果、天照の子孫でありながら太陽に向かって戦をしたのが間違いとでました。
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これを受けて、神武天皇は戦略を練り直し、今度は太陽を背にする南から攻める事に決定。 難波から紀伊半島をぐるりと迂回し、熊野に上陸。  そこから紀伊山脈を越えて、大和地方に入る事にしました。

しかしながら、紀伊の山は半端ではなく、熊野の上陸した途端、巨大な熊の姿をした神が現れ、毒気を発しました。
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これによって、神武天皇軍はみな卒倒。 天照大神が高倉下に与えたタケミカヅチの剣「布都御魂」の力によって、なんとか立ち直ったものの、気がつけば深い森の中で道に迷ってしまいました。

そのとき、どこからともなく、さっそうと現れたのが、一羽の巨大なカラス「八咫烏」であります。八咫烏の咫は、変わった字ですが、「尺」に「只」という字をつけます。  1尺は「寸」の約10倍でセンチに直すと約30センチ。

 「1咫」は、手のひらの下端から先端までの長さで4寸――約18センチ、「8咫」ですからこれを8倍すると144センチ、ほぼ1.5メートルですから、ヤタガラスはかなり大きなカラスということになります。
 また 「八」という字そのものが末広がりで、大きいという意味を表します。
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神武東征と八咫烏

八咫烏は太陽神の天照大神が遣わした神で、神武天皇の先導をする役目を帯びておりました。 前日、その事を夢のお告げで聞いていた神武天皇は、

八咫烏が天の遣いであることを見抜き、その後をつけてゆき、森を抜ける事に成功し、吉野から大和へと入る事ができました。
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こうして、神武天皇は長脛彦を退治し、橿原宮(かしわらのみや)において、初代天皇として、即位することになります。

また、神武天皇が大和の宇陀(うだ)にやってきた時、敵地の土で、御神酒を入れる瓶を作って神々を祀れば、敵が降伏するという夢を見ました。

これに従い、部下に変装させ、敵地から土をもってこさせ、御神酒の瓶を作ったところ、見事、敵を倒す事が出来ました。
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アルメニアの土地では、ペルシャとの戦いの前日、アレキサンダー大王が同様の夢を見、お告げ通り、大王は変装して敵地に潜入し、こっそり酒杯を盗んできますが、

これによってアレキサンダー大王はペルシャ軍を撃破することに成功しました。

さらに、神武天皇は熊野で尻尾の生えた人間に遭遇しますが、アレキサンダー伝説にも尻尾の生えた人間が登場。ときに、アレキサンダー大王はガラスでつくった潜水艦で海中の世界に赴きますが、これは山幸彦がなくした釣り針を求めて、

海神の国に行く話しと似ており、山幸彦の別名はホホデミ命で、神武天皇と同じ名前です。
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(注)日本神話では、時代が違っても、名前が同じであれば同一人物であります。 これは神話の世界の神なのだから、時空を超えていると解釈しなければならないのです。

この目的は、わざと読者を煙に巻いているのかも知れません。

このように、話がよく似ており、これは騎馬民族のスキタイ人がユーラシア大陸を自由に行き来し、アレキサンダー大王やギリシア神話を各地に伝えたのだと思います。

 日本には、秦氏が伝えたか、それとも、それ以前に伝わっていたのかも知れません。
日本神話とギリシア神話はよく似ております。(パクリ?)
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日本の天皇家は現存する世界の王室で最古の歴史を誇るものですが、同時に日本の建国以来、同じ一族という事にも、驚かされます。  何故に、ここまで永く続く事が可能なのでしょうか?

日本には「八咫烏」という秘密結社が古代からあり、苗字も名前も持たない人たちが、ずっと昔から天皇家を守っているという噂があるのをご存知でしょうか。

京都の下鴨神社(=賀茂御祖神社)に、その秘密が隠されているようなので、それについても書いてみたいと思っています。

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