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ユダヤ文化と日本:宇佐八幡宮神社は旧約聖書の言い伝えが残されています
八幡総本宮 宇佐神宮
http://www.usajinguu.com/Frame.html
宇佐神宮は、全国4万社余りの八幡宮の総本宮。
八幡さまは応神天皇の御神霊で、欽明天皇の32年(571年)に宇佐の地に御示顕になり、
応神天皇は大陸の文化と産業を輸入、新しい国づくりをされた天皇ですが、
この応神天皇の時代に秦氏一族が大陸からやってきて、
ユダヤの文化や習慣を日本に伝えたとされています。
宇佐神宮をつくったのも秦氏一族の辛嶋氏ですが、
この神社には旧約聖書のモーゼの言い伝えが残されています。 また、お神輿の発祥の神社でもあります。
宇佐地方は、多くの渡来人が住み着いた場所で、多くの秦氏が定住した場所としても知られています。
中央アジアの弓月国(ネトリウス派キリスト教の小国)出身の秦氏は畑作、養蚕、機織、銅などの鉱山技術、鍛冶など、
その当時の最先端技術を中国から新羅を経て日本に伝え、大和朝廷も銅の技術を持つ秦氏を山背(今の京都)の地に呼びました。
そして、秦河勝が、山背国に太秦(秦氏の長)としてそこに本拠を構え、広隆寺を建て、聖徳太子に仕えた大立者で、
後に聖武天皇が東大寺の大仏を作るときにも大活躍しており、聖徳太子が馬子屋で生まれた伝説などは、まさにキリスト教の影響を受けていると思います。
秦氏は養蚕の技術と鉱山の技術があるために、各地方の豪族から呼ばれて各地に入植し、日本の各地に秦氏の末裔は広がることになります。
宇佐神宮の起源は、そこからすぐ北側にある薦神社の御澄池で、
八幡信仰はその昔、この御澄池にヤハタ(ヤハヴェ)の神が現れたという伝説から始まります。
その話とは、昔、御澄池のきれいに澄んだ水の中から美しい幼い男子が姿を現し、
池の岸辺に生えていた薦草(パピルス)の上に立ち、 「 私こそがヤハタ(ヤハヴェ)の神である。
私のために薦草で方船を作り、御神体とせよ! 」 と告げたというもので、この時以来、
この神社では湖畔に生えている薦草を刈り取って、方舟を作り、これを宇佐八幡宮に御神体として奉納してきましたが、
この伝説は、ユダヤ教の経典タナフに出てくる、ユダヤ人の指導者モーゼの誕生の記事を思わせる内容です。
モーゼの出生については、タナフのシモットの書に書かれており、エジプトに寄留していたユダヤ人を迫害するため、エジプトの王はユダヤ人の全ての男の子を殺すよう命じます。
やがて、モーゼは育ち、エジプトから同胞を救い出すというユダヤ人なら誰もが知っている偉業を成し遂げます。
まさに、ユダヤ人にとっては、薦草でつくった方舟といえば、民族の英雄が救われた、この奇跡を思い出すのであります。