もくじ
ユダヤ文化と日本:シュメール文明と日本の関係を調べて見ました
これは、シュメールから出土した楔形文字の書かれた粘土板に、十字架と菊花紋(最高神アンのマーク)がある写真です。
今回は、この菊花紋を中心に、日本もシュメールからの影響を受けているのではないかという話をしたいと思います。
アッカド美術 「ナムラ・シン王の戦勝記念碑」 BC2230年
これは、アッカド美術の傑作「ナラム・シン王の戦勝記念碑」で、勝利したカラム・シンが角のついた神のかぶとをかぶって山の頂上に登り、星と会話している図柄です。
注目して欲しいのは、上の方にある菊花紋です。
もちろん、これはシュメールの最高神アン(天や光)をあらわしていると思われますが、
デザイン的には「米」より「菊の花」に近い図柄になっています。
アッカドとは、BC2350年頃シュメールを征服して出来たメソポタミアを
最初に統一した王朝です。 しかし、BC2100年頃ウル第3王朝に取って代わられます。
その後、BC1900年頃に古バビロン王朝の時代になり、
BC1600年にヒッタイト、BC1200年にアッシリア、BC612年に新バビロニア王朝が
メソポタミアを支配し、
BC593年にユダヤ人を捕虜としてバビロニアに連れてきました(バビロン捕囚)。
BC537年にペルシャ帝国(アケメネス朝)がオリエント全域を支配するようになり、
ユダヤ2支族は解放され、エルサレムに戻る事が許されました。
ご存知の通りアッシリアに滅ぼされた北イスラエルの10支族は
どこに行ってしまったのかは、未だもって謎とされています。
話をシュメール最高神アンのマークに戻しますが、
この菊花紋(便宜上こう呼ばせてもらいます)は、
神や最高権力者の象徴として用いられる事になってゆきます。
アッシリアの黄金神盃に刻まれた菊花紋
有名なバビロニアのイシュル門にも刻まれ、インドにも伝わっています。
バビロニア イシュル門に刻まれた菊花紋
インド サルナート 獅子柱像
そして、シュメール文明から大きな影響を受けたユダヤ人は、エルサレムの宮殿に、この菊花紋を刻んでいます。
エルサレム宮殿に刻まれている菊花紋
今日、世界の王家の中で紋章として、菊花紋を使っているのは、
日本の天皇家だけのようですが、
シュメールとイスラエルの影響を受けたものではないでしょうか?
さらに、面白い写真があります。
これは、シュメールの最高神アンの娘イシュタルですが、
2匹の獅子をしたがえて、2羽の鳥(フクロウ)を従え、
王冠を被り羽を付け神紋を持っています。
彼女自身も羽を持ち、鳥の足をしています。
この像から連想できるのは、西洋において、
幸運のシンボルとされるフクロウの起源と、そして日本の神社の起源です。
神社にはまず鳥居(ヘブライ語でトリイは門のこと)という大きな門があり、
神である彼女と聖霊のようなお付の鳥がそこに舞い降りてくる。
そして神社を守っているのは、2匹の狛犬(獅子)であるというように、
まるで日本の神社の原型であるかのようなイメージです。
もしかすると、日本の神社もシュメールの影響を受けているのかも知れません。
イシュタル神とフクロウ、そして獅子