「わが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか」おそらくこの文章を読まれる諸君らは
序章でびっくりさせられ李はずです。目から鱗とはこのことではないかと思います。
多くの国民は日本人が奴隷として売買されていたなど全く知らないのでは中井と思います。
想像したこともなかったともいます。
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しかし、戦国の荒れた世が長く続けば、各地で難民が発生し売られて行っても不思議ではないはずです。
遣欧少年使節団のことはかなり有名ですが、その記録の中にはっきり残っており、ミゲルが言った「道義をいっさい忘れて、血と言語とを同じうする同国人をさながら家畜か駄獣かのように、こんなに安い値で手放すわが民族への義憤の激しい怒りに燃え立たざるを得なかった。」
のくだりは、彼の怒りを強く感じると同時に、今までこの部分に触れることがなかった歴史家や歴史教育に私は大いに怒りを感じます。そして長い戦乱の世がもたらした大きな負の部分を改めて知ることになったのです。
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第1章はなぜ日本が西洋諸国の植民地にならなかったという、この本の本題へのプロローグですね。(ワクワク)
この命題については、自分も何故だろうかと思ったことはありましたが、単純に東南アジアから順番に来たくらいの感覚でした。
しかし、1565年にはスペインがフィリピンを実質支配し、ここを拠点にアジア進出を進めようとしていたのです。
フランシスコザビエルによるキリスト教の伝来が鉄砲伝来の数年後だからよかったとのくだりはスリリングです。
鉄砲が伝来以降、極めて速い段階でかくも技術を向上させ、量的にも世界一を誇ったことなど誰も教えてくれませんでした。
しかし、このことが本題に繋がっているのですから、とても重要な要素だった思います。
(我が国の工業力の凄さはこの頃から世界を席捲していたかと思うと痛快)
それにしても、「日本は鉄砲を捨てて、平和で豊かな国づくりを目指した。」とのくだりは戦争好きで残虐な侵略ばかりするといった西洋人の日本人観に対する強烈な反撃です。
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(これも痛快)
さて、いよいよクライマックスの
第2章ですが、キリスト教伝来がスペイン・ポルトガルによる日本侵略の第一歩であり、
のちにやって来る宣教師たちは伝道の名のもとに先遣隊とスパイの役を担っていたなどは、またまた目から大鱗です。
スペインがインカの攻撃を始めるいきさつを読むと、侵略に関わるそれぞれのミッションがはっきり見えてきました。
さらに、廃仏毀釈は明治時代のことかと思っていましたが、この時代にしかも強烈な形で行われていたのです。
明治時代のそれと比べてみても、一神教の激しさ恐ろしさをあらためて感じました。
あの松永弾正による東大寺焼打ちも実は敵方のキリシタンによる廃仏毀釈の一環であったとは…。
これだけ強かな戦略で進出してこようとしたスペイン・ポルトガルが、それを実現できなかった理由が、刀や鎧のクオリティや鉄砲の量による要因が大きかったとはかなり大胆ですが、すごく真実味を感じます。
やむなくシナ、朝鮮経由で日本を植民地化するシナリオになったようですが、明治以降だけでなくこの時代も日本の脅威は朝鮮半島経由の可能性があったのです。
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第3章においては、秀吉による九州制定は宣教師、キリシタン大名を利用したのちに、彼らの力を弱め、さらに追放令を出したというくだりに留飲を下げました。
それにしてもキリシタン大名を利用して部分的に植民地化する企てまであったなどは、初めて聞いてゾッとしてしまいました。
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第4章冒頭の、日本人奴隷がスペインの傭兵としてフィリピンで戦っていたくだりは、
奴隷だけでも驚きなのに傭兵など…と思いましたが、国は違いますが山田長政は確かにシャムで戦っていました。
スペイン・ポルトガルはカトリックでオランダ・イギリスはプロテスタントで、ともに睨み合っていた。
このこと見抜いてオランダ人・イギリス人を重用することでスペイン・ポルトガルを牽制した家康も凄い人なのです。
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第5章の島原の乱について、まず驚いたのは旧キリシタン大名の家臣たちが首謀者であったこと。
キリシタン農民達がカリスマ的な天草四郎を担いで決起したようなイメージがありましたが、実はその農民達は移封された旧キリシタン大名の失業家臣たちであったなど誰もしらないことでしょう。
棄教した農民が改宗して参加したとありますが、棄教せず隠していた可能性はなかったのかの疑問は残りました。
次に驚いたことはオランダ船が原城を砲撃したことです、もちろんこれも知りませんでしたが、それが<幕府軍×一揆軍=オランダ×スペイン・ポルトガル=プロテスタント×カトリック>の構図の中で行われたなど本書を読まなければ絶対にわからないことです。
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最終第6章では、鎖国の定義の誤りから、「鎖国」という用語を歴史書から追放せよとの著者の手厳しい提案が印象的です。
歴史とはは勝者が作るものと言われますが、江戸幕府を一方的に悪者にするために明治政府が「鎖国」から「開国」の流れを作ったことはまさにこれに当てはまるもので、これを指摘したのは著者の慧眼と思われます。以上、通読のうえ、印象に残った点を書いてみましたが、私達の歴史の常識を見事に打ち破る内容とそれをわかり易くするエビデンスを都度付記している点でも、とても優れた本だと感服しています。
そして、全体を通して流れているのが、戦後における歴史認識や歴史教育を正していく必要性を説いていることで、この点については著者に敬意を表したいと思います。
実は昨年、ケントギルバートの著作でGHQが実行したウオーギルトインフォメーションシステムやプレスコードのことを知り、長年の疑問が解けたところだったのです。長年の疑問とは、どうして我が国の人々は自分の国のことを好きだとか、誇りを持てると言いきれないのか?という点です。
このGHQが行った洗脳から脱するためには、本書のように戦後の歴史認識や歴史教育を見直したうえで史実を追求し、日本と日本人を再認識させてくれる書物が必要です。
近時はそうした書物が少しずつ増えていると感じています。
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