ユダヤ文化と日本:お正月は 旧約聖書の『過越の祭り』に似ています

旧約聖書を読みますと、『過越の祭り』という祭りが出てきます

『お正月』は玄関にしめ縄と門松、床の間にお供え餅、食卓はお節料理です。

大晦日は大掃除とごちそう作りに追われ、まるで特別なお客様が来られるのを待つかのようです。

そしてソバをツルツル食べながら年を越します。

百八つの除夜の鐘が鳴ると非常に宗教的な、それでいて家庭的な緊張感に包まれて年が明け、何ともすがすがしい朝を迎えます。

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みんな服装を整えて挨拶をかわし、お屠蘇やお雑煮をいただきます。

三が日は家族そろってお宮参り。8千数百万人が一斉に国中の神社に初詣に行きますので、道路は大渋滞ですが混雑を恐れません。

後から後から人が押し寄せて、信心深く石畳を歩き、お社の前にぬかずき、

大自然から聞こえてくる声なき声に満足し、柏手を打ち、頭をさげます。平素の不信仰がまるで嘘のようです。

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1つは民族がこれほどまで清らかな思いで過ごすのはこの時期しかありません。

しかもこれが日本人特有の、礼儀正しい1年のスタートです。

この風習がいつごろから今のようになったのか、誰もわかりません。

先祖伝来の習慣として当然のように守られ、そのお陰で何千年も変わらない民族性が保持されてきました。

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ところで旧約聖書を読みますと、『過越の祭り』という祭りが出てきますが、それが日本のお正月と大変似ているので驚いてしまいます。

過越の祭りとは、エジプトの奴隷になっていたイスラエル人がモーセのよって解放され、エジプトを脱出したときに起こった数々の事件を記念し、ユダヤ人の間で厳粛に守られているものです。

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それは春の満月がこうこうと輝く印象的な夜でした

イスラエル人の人々は神の命令に従って旅支度を整え、犠牲の小羊を殺してその血を玄関の鴨居と2本の柱に塗り、肉を家族や近所の人たちと分け合って食べていました。

突然エジプト中から悲痛な叫び声が響きわたりました。玄関に血の塗られていない家の、すべての長男(家畜に至るまで)が死の使いによって殺されたのです。

しかし血の塗ってあるイスラエルの家の長男は守られました。死の使いが血を見てその家を過ぎ越したからです。

この恐怖の中で脱出したのでした。(出エジプト12)

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それまでエジプトの暦に従っていた彼らは、脱出するとすぐ、その月『ニサンの月』をイスラエルの新年としました。

そのことで民族自立を確立したのです

ニサンの月は日本の3、4月頃で、15日から(イスラエルの1日は日没から始まりますので、日本では14日夕方となります。

1週間が過越の祭りで、神はこれを『永遠のおきて』として守るように命じられました。

おきてとは法律というよりも暦と考えられます。その暦を守り続けることが神とイスラエルの間の永遠の契約でした。

暦の基本は春の過越の祭りと秋の仮庵の祭りで、ユダヤ人はこれを守ることでその民族性を保持してきたのです。

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紀元前7百年代に一部のイスラエル人が偶像崇拝のため国を追放され、アッシリヤに連行された後、行方不明となりました。(Ⅱ列王記17)

外典には彼らは神が命令された『永遠のおきて』を守るため、人の住んでいないところに行こうと決心し、すきを見て東に逃れ、アジア大陸のはるか彼方に集団で移動したと記されています。

彼らは偶像崇拝に陥ったといえども、その暦だけはしっかりと生活に根ざしていたものと思われます。

日本人が伝統的にお正月を守ってきたその理由はわかりませんが、その考え方を植えつけたのが渡来してきた古代イスラエル人だったとしたら、私たちは知らずに永遠のおきてを守っていることになります。

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(下の比較表をごらんください)

項目 イスラエルの過越の祭り 日本のお正月
1月15日 ニサンの月15日(三月頃)春の満月 昔の自然歴では15日が中心だった
松の内 過越の祭りは1週間 松の内は1週間
鴨居と2本柱 鴨居と2本の柱に血が塗られた 鴨居にしめ縄、2本の柱に門松
大晦日の大掃除 ※パン種を徹底的に除くため大忙し 新年を迎える準備の大掃除、昔は煤払い
宗教的緊張感 神が寝ずの番をされたことを感謝する 1年の無事を感謝し、除夜の鐘を聞く
非常に家族的 父は家族礼拝の中心、母は燭台に点火 一家の主人、父母が挨拶の中心
参拝に行く 国中がシナゴグ(会堂)の礼拝に行く 国中が神社へ初詣に行く
主食は種なし 種なしパン・マッツァーを1週間食べる 種のないモチを1週間食べる
苦菜を添える 15日は苦菜を添える 苦しみの象徴 七日目に七草がゆを食べる
料理 料理は出エジプトの旅支度を記念する お節料理は旅支度のような携行食糧

※祭りの間の1週間は家の中にパン種(イースト菌)が一かけらもあってはなりません。

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このようにユダヤ人が守っている過越の祭りとよく似た祭りを守っているのは、世界中を見渡しても唯一、日本人だけです。

さらに日本のお月見や秋の収穫感謝祭は、イスラエルの『仮庵の祭り』に似ています。

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 日本人は血筋の上では多くの民の混血民族です

しかし弥生時代に、非常に優れた集団が大挙して渡来し、それまで国家のなかった列島に始めて国家意識が生まれたといわれています。

この渡来人が古代イスラエル人だったとしたら、彼らは聖書の神を信じていたが、そのお方を忘れ、

宗教行事や風俗習慣の形だけが子孫に伝えられて、それが日本のお正月のような伝統になった、と考えられます。

ということは聖書が示している真の神は異国の神ではなく、私たちにとって非常に近いお方なのではないでしょうか。

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そう思うと聖書の学びが楽しくなります

イエス・キリストは最後の晩餐のとき、「わたしは苦しみを受ける前にあなたがたと一緒に、この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか。

過越が神の国において成就するまでは、わたしはもはや2度と過越の食事をすることはありません。」(ルカ22.15、16)といわれました。

その過越の犠牲となった小羊は、十字架の上で人類のすべての罪を背負って犠牲となられた神の子イエス・キリストの姿を表していました。

「ましてキリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心を清めて死んだ行いから離れさせ、

生ける神に仕える者とすることでしょう。」(ヘブル9.28)

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