フランス革命の最初のデモ行進はパレ・ロワイヤルから始まる 11

フランス革命の最初のデモ行進はパレ・ロワイヤルから始まる11

パレ・ロワイヤルフリーメーソン大東社のグラントマスターであった、

ド・オルレアン公爵は、ルイ14世王の弟の家系に属する公爵でありますが、

恐ろしいまでの陰謀を企てて、ブルボン家を滅ぼしてルイ16世の王位を奪おうという

野心を持っていので、フランス革命は彼にとって絶好の機会でありました。

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このオルレアン公を利用しようと目をつけ、彼に接近したのが、

イルミナティのアダム・ヴァイスハウプトで、女を使い快楽に溺れさせ、

1780年になると、オルレアン公爵は、ユダヤ人金貸し業者に80万ルーブルの借金を負わされます。

ちなみに、アダム・ヴァイスハウプトは、

当時義理妹の中絶手術費用の工面に四苦八苦しながら

極貧の生活を送っていましたが、

ロスチャルド財閥の祖、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドから資金提供を受けており、

フランス革命では数百万フランの資金提供を受け、

約3万人の革命分子を雇った事も記録に残されています。

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イルミナティは、スペイン系ユダヤ人コデルロス・ド・ラクロを任用し、

オルレアン公爵の財産を管理させ、その頃ド・ラクロは有名な「危険な関係」をはじめ、

ポルノまがいの小説作家として名を売っていました。

そして、愚かなフランスの民衆はこれに喝采を浴びせ、極端な不道徳を公然と擁護。

パレ・ロワイヤルは民衆に開放され、猥褻写真のギャラリーやポルノ図書館ができ、

堕落した淫らな性的なショーを行う劇場となり、史上最悪の悪名高い宮殿となってしまい、

敬虔なカトリックのフランス人の宗教心、公徳心を徹底的に破壊する作戦が練られ実行されてゆき、

この歴史あるパレ・ロワイヤルは革命分子の巣窟と化してゆきました。

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そして、1789年7月、弁護士カミーユ・デムーランは民衆に向かい「武器をとれ!」と煽動し、

フランス革命の最初のデモ行進はこのパレ・ロワイヤルから始まりました。

その翌日に絶対王政の象徴であった監獄バスチーユ襲撃事件が起こり、フランス革命へと発展。

あろう事か、同じ親族であるルイ16世の処刑投票に、

彼は平然と賛成票を投じ、ルイ16世は処刑されました。

イルミナティに、十分に利用されたオルレアン公爵は1793年11月6日、

ルイ16世に遅れること10ケ月、マリー・アントワネットの処刑から1ケ月もたたないうちに、

彼も処刑されてしまいました。  彼の子供が、七月王政のルイ・フィリップであります。

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ちなみに、このフランス革命では、ロスチャイルド家が、

モーゼス・モンティフィオーレ卿の伯父に当たるモーゼス・モカッタの銀行を介して、

フランス革命への資金提供を行っていた証拠が存在しており、

歴史記録書によればフランシス革命の主な資金提供者は、

ダニエル・イツィッヒ、デヴィッド・フリートレンダー、ヘルツ・ガリビール、

ベンジャミン・ゴールド・シュミット、及びアブラハム・ゴールドシュミットといった

ユダヤ系銀行家たちであったとされています。

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実際、フランス革命は、イルミナティに乗っ取られた

フリーメーソンが主体となって起こしたものと考えられ、

革命後に独裁・恐怖政治を行ったジャコバン党の実体は、イルミナティでした。

ですから実際、バスチーユ広場の周辺には、ユダヤのシナゴーク(教会)だらけなのです。

フリーメーソンのスローガンは「自由・平等・博愛」、フランス革命のスローガンも同じく「自由・平等・博愛」。

パリの地下鉄のバスチーユ駅から、地上に出たところにある地図。 ユダヤ教のシナゴークだらけ。

フランス革命の人権宣言
上のほうに、フリーメーソン/イルミナティのシンボルマークである

「全てを見通す目=古代エジプトのホルス神の目」が描かれている。

そして、ヴァイスハウプトの罠にかかり、革命の露と消えてしまったのが、

悲劇の王妃マリーアントワネットです。

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