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アヘンで莫大な富を築くサッスーン財閥もロスチャイルドの仲間26-1
David Sassoon (1792 ? 1864)サッスーン財閥は、
18世紀にメソポタミア台頭したユダヤの富豪家族で、
オスマントルコ治世には財務大臣を務めるほどの政商となっていました。
この一族に生まれたデヴィッド・サッスーンは、バグダッドに生まれ、
インドに進出、1832年に阿片の利権を求めて、ボンベイに移住しました。
彼は、上海を中心に中国北部を支配したフリーメーソン組織
「イングランド系北支地区大結社」の首脳の一人でありました。
当時は、イギリスが1773年からインドでのアヘン専売権を武力で獲得し、
東インド会社の貿易を通じて、中国にアヘンを売りつけ、
アジアから銀を巻き上げる麻薬貿易により、ロンドンのシティに
莫大な富をもたらしていた時代でした。
そして、1842年のアヘン戦争に敗北した中国は、
香港をイギリスの植民地とする敗戦条約に署名をしなければならなくなり、
同時に上海などいくつかの港を開き、
イギリス領事館を置くことに同意させられました。
イギリス最大の銀行である HSBC(香港上海銀行)は、
こうしてアヘン貿易で得たお金で、1868年に創られたものであります。
「阿片王」 デヴィッド・サッスーンは、
1864年にこの世を去っており、HSBCはデヴィッドの5男の
アーサー・サッスーンが最大の株主となり、香港上海銀行は設立されました。
その出資者は、サッスーン一族がリーダーとなり、
ベアリング商会、ジャーディン・マセソン商会、ロスチャイドに
関係する役員で構成されていました。
デヴィッドの長男は、アルバート・アブダラ・サッスーンといいますが、
彼はインド西岸にはじめてドッグを建設し、
その名も「サッスーン・ドッグ」を足場に海運事業を興しており、
当時イギリスの風刺画に彼は、「インドのロスチャイルド」と称されていました。
しかし偶然と言うものは恐ろしいもので、
アブダラの息子エドワード・サッスーンの妻の名はアリーン・ロスチャイルド、
何と本当のロスチャイルド家の娘と結婚したのです。
その後も、この両家は複雑に婚姻関係を結び、
中国とインドで悪いことばかりしていたのです。
サッスーン一族は、アヘンで莫大な富を築く一方で、
わが国の片岡物産が代理店となっている
イギリス紅茶の総元締めとしても知られました。
紅茶と麻薬は、同じ場所の畑で栽培されていたのです。
我々が呑気に飲んでいるイギリス紅茶の裏側では、
人権を無視され家畜の如くムチ打たれるインドの人々と、
アヘンで廃人同然にされた多くの中国の人々がいた事を忘れてはなりません。
日本でなじみのあるサッスーンといえば、神戸市北野町にある異人館、
サッスーン邸がありますが、これは実際に居住していたユダヤ系シリア人の
デヴィッド・サッスーンの名をとったもので、現在は結婚式場になっています。
名前は同じですが、最初にお見せした写真のデヴィッドではありません。
女性の方なら、サッスーンと聞けば、安室奈美恵が宣伝する、
ファッション界でヘアースタイリストとして有名なヴィダル・サッスーンを思い起こすと思いますが、
ヴィダルの息子が神戸のサッスーン邸に住んでいたデヴィッド・サッスーンで、
先祖は「阿片王」のデヴィッド・サッスーンです。