アドラー心理学・劣等感は、「健全」 なものなのです 4 

劣等感は、「健全」 なものなのです アドラー心理学 

人間は、 「無力な状態」 で生まれてきます。

保護者がいないと、数日以内に亡くなることでしょう。

このままの状態では、自力で生きることができない。

本能から指令を受け、「早く、この状態から脱やりたい」 という欲求 を、強く持ちます。

ところが、早々に一人前になれる訳ではないです。

1mジャンプするつもりが、80㎝しか飛べず、水たまりに落ちたりします。

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次みたいに、理想 (目標) のわたしに到達できませんとき、

自分が劣ってるかにみようかな感覚 を抱きます。

これが劣等感の正体なのだそうだ。

理想 (目標) とは、向上心があることの証しです。

さらに、向上心がある限り、全ての人が劣等感を持ちます。

アドラーは、 「劣等感そのものは健全なもの」 と述べさせているのです。

その為、 「劣等感」 とは、むしろ好ましいものなんです。

劣等感は、 「客観的な事実」 でではなく、 「主観的な解釈」 から 生まれます。

一例をあげると身長が160㎝だとしますと、

その 「客観的な事実」 から、劣等感が生まれている訳ではありません。

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そこに 「どんな意味づけを行うか」 によりまして生まれます。

その結果、同じ160㎝しかし、 「自分は背が高い」 と思われます人もいるそしたら、

「自分は背が低い」 と思われます人もいる訳なんです。

身長160㎝という 「客観的な事実」 そのものは、動かすことはでこない。

だから 「どうしてぼくの身長が160㎝なのか」 と悩み継続しても、

人生は何ひとつ改善されない。

自分の生い立ちや学歴、出身地、過去の出来事などにつきましても、

同じことが言えます。

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つまり 「自分の力で変えることができません」 ことについて悩むのは、

無駄なこと なんです。

一方で、 「主観的な解釈」 は、自分で選ぶことができます。

かりに、主体性のある人生を取り戻やりたくなったのであるならば・・・

「客観的な事実」 に対し、自分が 前進出来る、向上出来る、

幸せになれるみたいな 「意味づけ」 を行うべきでしょう。

ただし重要でないことにつきましては、 「あくまでも意味づけをしない」 という、

選択肢もあるのです。

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