もくじ
70代の高齢警備員の過酷な現実人生
ハード警備仕事、なぜ高齢者ばかりなのか
ここに「老後レス社会」のリアルな断面を見ることができます。警備員は、70歳以上の就労が増え続けている職種の1つだからです。
柏耕一(かしわ こういち)さんは73歳。ある日のこと、風雨が吹きすさぶスーパーマーケットの建設予定地で、柏さんは、セメントを運ぶ大型トラックを誘導していました。「交通誘導員」と呼ばれる、警備員の代表的な仕事です。コンビニで買ったレインコートでは完璧な防水ができず、お尻まで濡れてしまいます。
「年に数回あるかないかのキツイ現場。それこそヨレヨレになりました」と話す柏さんの日給は9000円。なぜ厳しい現場に出続けるのか尋ねると、こう答えてくれました。
「65歳を過ぎると、警備員以外で雇ってくれるところがない」
かつて柏さんは書籍の編集プロダクションを経営し、300冊以上を手がけてきました。10万部以上売れたベストセラーが90冊あるとのこと。そのキャリアは30年に及びます。
「調子のいいときには、給料と経費を合わせて年に1000万円くらい使えていました」
ところが、こうして公私の区別が曖昧になった意識が放漫経営につながります。競馬にのめり込み、不動産などへの投資も失敗。そのツケは、税金約2500万円の未払いという形で回ってきました。会社の信用はガタ落ちで、収入があっても銀行口座は税務署に差し押さえられます。働く意欲は薄れ、売り上げも激減していきました。
自営業で国民年金の加入期間が長かったこともあり、年金は夫婦で月6万円ほど。自宅を手放した後に移ったアパートの家賃6万6000円を含め、生活費を稼がなければなりません。そして、手っ取り早く稼ぐために残された道が警備員の仕事だったのです。
「70歳以上が8割」の警備員職場の現実
柏さんの“警備員デビュー”は68歳のときでした。しかし警備会社で働いてみて、自分よりも年長の70歳以上が8割を占めていることを知り、驚いたそうです。なかには80歳を超える人もいました。
80歳を超えた警備員の実例を紹介しましょう。千代栄一(ちよ えいいち)さん、85歳。2020年4月まで、警備員として働いていました。
職場は千葉県内のパチンコ店で、駐車場に出入りする車の誘導が主な仕事です。早番(午前7時半から午後3時半まで)か遅番(午後3時半から午後11時半まで)のシフトで月に20日働き、月収は18万円ほど。
所属していた警備会社の面接を受けたのが、ちょうど80歳のときでした。「働かせてくれるのは75歳までと言うから、サバを読んだ(笑)」と打ち明けます。
もともとは左官業を営み、最盛期には80人の職人を束ねる親方でした。大手ゼネコンの仕事を請け負って、東京タワーなどの建設に携わったことも。しかし、連帯保証人となった知人の負債を肩代わりするため、自宅も手放す羽目になってしまいました。
年金は受給しているものの、娘と暮らすアパートの家賃と生活費の不足分を補うには、働き続けなければなりません。そこで警備会社の面接に臨んだのです。“年齢詐称”は、やがてバレてしまいますが、まじめな仕事ぶりが評価され、そのまま働くことができました。
ところが、2020年からのコロナ禍で、職場だったパチンコ店が休業。千代さんの仕事はなくなり、警備会社を辞めざるをえなくなりました。
その後、ハローワークにも通ってはいますが、「年齢の壁」のせいで、なかなか仕事が決まりません。高齢者歓迎の求人でも、「75歳が上限」が多いのが現実なのです。
医者にかかったのは花粉症と歯の治療くらいというほど健康な千代さんは、「万が一、85歳を雇って何かあったら、会社のほうが責任を問われるって言うんだよね」と話します。働いて稼げなくなったので、家賃の安いアパートに引っ越しました。
コロナ禍は前出の柏耕一さんも直撃しました。政府が緊急事態宣言を出していた2020年4月の出勤日は、たったの3日です。当時、柏さんの現場は千代さんと同様、大手パチンコ店。主に駐車場に出入りする車の誘導をしていました。1日2交代制で、4人の警備員がシフトを組み、週末の出勤もあるほどだったそうです。
ところが、4月7日からパチンコ店が突然、事前予告もなく閉店してしまい、それ以降の仕事が完全になくなったのです。続く5月も、ゴールデンウィークと緊急事態宣言の影響で、出勤日数はわずか7日。4月と5月の収入は、合計で9万円に激減しました。
高齢でも警備員の需要は堅調だった
しかし緊急事態宣言解除後、状況は一変します。2020年5月下旬、柏さんの勤務シフトが通常に戻ってきました。仕事は水道工事の現場での交通誘導です。1日のタイムテーブルを見てみると――。
・午前8時 現地到着、着替え
・午前9時 仕事開始
・午後6時 終業
・午後8時 帰宅
このハードな勤務が20日間も続きました。つまり警備員という仕事の需要が回復したのです。いや、以前にも増して求められるようになったと言えるかもしれません。
職業別の有効求人倍率が、その事実を物語ります。緊急事態宣言が出た2020年4月以降の有効求人倍率を「全職業」と、警備員を含む「保安の職業」で比較してみましょう。
職業別の有効求人倍率 | |||
月 | 全職業 | 保安の職業 | 備考 |
4月 | 1.13 | 5.91 | 4月7日、緊急事態宣言発出(5月31日まで) |
5月 | 1.02 | 5.74 | |
6月 | 0.97 | 5.82 | 「全職業」の有効求人倍率が1を割り込む |
7月 | 0.97 | 6.26 | 「保安の職業」の有効求人倍率が回復基調 |
8月 | 0.95 | 6.55 | |
9月 | 0.95 | 6.64 | |
10月 | 0.97 | 6.53 | |
11月 | 1.00 | 6.58 |
やはり警備員という仕事の需要は、コロナ禍でも総じて堅調だったことがわかります。その理由を、柏さんは次のように分析します。
「交通誘導の主たる仕事場は、ガス管や水道管の入れ替えや建設現場、電線の点検・架設などで屋外が多く、『3密』にはなりにくい。また、コロナのような大きな外的要因にも左右されることが少ないのは、人々の社会生活に密着した必要不可欠な仕事であることを物語っているんじゃないでしょうか」
冒頭で記したように、高齢者が警備員に占める割合は驚くほど高く、そしてその割合は年々、上昇し続けています。
警察庁が毎年発表する「警備業の概況」によると、2019年末時点で全国57万人の警備員のうち、60歳以上は45%です。さらに70歳以上が増加しつつあり、全体の15%にまでなりました。つまり警備員の7人に1人以上が70歳以上なのです。
工事やイベントで警察から道路使用許可を得るために、施工業者は、道路規制図を添えて警備員の配置を書き込み申請します。このとき、安全が確保される人数が配置されないと許可が出ません。また、もし後から配置されていないのが見つかると、業者が処分されます。
こうして生まれる雇用が、「年金の足しに」と働く高齢者を支える構図が見て取れるようです。
65歳以上の求職者は、約59万人に上り、10年前の2倍近くに迫る勢いです(厚生労働省の統計から)。
労働政策研究・研修機構の調査(2015年発表)では、「60代が働いた最も主要な理由」は「経済上の理由」が最も多く、約58.8%。また、2019年度の内閣府の世論調査では、「日頃の生活で悩みや不安を感じている」と回答した人に理由を聞いたところ、「老後の設計」を挙げた人が56.7%(複数回答)で最多でした。
そんななか、安倍晋三前首相は在任中、「一億総活躍」というスローガンを掲げ、高齢者らの就労を促す方向に舵を切りました。2019年10月4日に召集された臨時国会の所信表明演説で、安倍氏はこう語っています。
「65歳を超えて働きたい。8割の方がそう願っておられます」
「(高齢者の)豊富な経験や知恵は、日本社会の大きな財産です。意欲ある高齢者の皆さんに70歳までの就業機会を確保します」
この総理の発言がネットで炎上しました。
「働かなきゃ食えないんだよ!」
「大半の人は『働きたい』じゃなくて、『働かざるをえない』ですよね」
現役世代が減っていく以上、高齢者の力を生かすことの重要性は、むげには否定できません。しかしその一方で、政権の姿勢には危うさも感じられます。高齢者の増加に伴って必然的に増える公的支援を、できる限り抑えることに力点が置かれているように見えるからです。
「リタイア」「楽隠居」「余生」「悠々自適」……。かつては高齢者に付きものだったこれらのフレーズが、次第に遠のきつつあるようです。まさしく「老後がない」=「老後レス」社会が忍び足で近づいています。
安倍氏を継いだ菅義偉首相は、目指す社会像として「自助・共助・公助」を掲げ、次のように述べました。
「まずは自分でやってみる。地域や家族が互いに助け合う。そのうえで政府がセーフティーネットでお守りする」
この考えを、そのまま「老後レス社会」に当てはめるのは乱暴すぎるでしょう。65歳以上の心身の状態はまちまちで、若者並みに働ける人もいれば、手厚い介護が必要になる人もいます。「まずは自助だ」と言われても、病気や老いで働けない人や、いくら働いても生活費を賄えない人たちは、途方にくれるしかありません。