もくじ
西欧追随は文化の退化をもたらす
ただここでちょっとと申し述べておかなければならないのは、これら戦前の日本にあった類い稀な美点が戦後100%失われたということではない、ということである。
それはどういうことかというと、日本の社会の内部では、つまり日本人の間ではこれら美点が失われているのを認めなければならないが、
日本人が外人に対するときはまた別の話だということである。つまり、国際的には日本人の美点は存分に生かされているということである。
比較文化論的に考察するに、日本人は西洋人一般よりも理性的にはるかに優れているといえよう。
今まで述べた戦前の美点もつまるところ、日本人が理性的に西洋人をはるかに凌駕しているということに他ならない。
この点で西洋人が日本人に追いつくには数世紀、いや数十世紀、あるいは永遠に追いつくことができないのかも知れない。
こういう相手とつき合う場合、否応なしにこの地球上で生存するためには付き合わなければならないが、このことがどういう結果になるかということである。
日本人は「国際性」という場合、100%西洋のペースに日本人が適応することというふうに考えているようであるが、これは人類の文化の退歩を招くことであり、
断じてそうあってはならない。これは全く逆立ちしている。
西洋人こそ日本人に適応させなければならない。何故なら日本人の理性の方がはるかに西洋人のそれより進んでいるのであるから。
ところが、西洋人は未だそんなことなど全く理解していない。
はばかりながら、我々ユダヤ人はそのへんをおぼろげながら理解できると自負している。
この点でも、ユダヤ人が一般西洋人より進歩した民族であると認めていただければ無上の光栄なのである。
この点が逆になったため、大東亜戦争は起こったのである。
日本はなんとか戦争を避けようと、全くの善意から必要以上の譲歩をした。
ところが相手は、その譲歩を全く単純に弱さの現われとしか取ることができなかった。
この理性的なものの差は、数世紀やそこらで埋まるものではないと私は考える。
残念ながら、現在の人類の理性の水準では、西洋人側の単純極まりない思考法が表通りを大手を振って歩いているのである。
これでは人類の進歩はあり得ない。〈中略〉