アドラー心理学・他人とわれを比較しない 5 

他人とわれを比較しない  アドラー心理学

人は、おのおの異なる人生を歩んでいます。

ぜんぜん同じ条件で生きている人など、どこにもわない。

ということで、誰と対するだけはできませんし、対すること自体が無意味 なんです。

「それぞれの人が、それぞれの人生を歩んだりしてる」 、

ただし、それだけのことなんです。

しかしていながら、すべての人が 「他人」 と比較して、

劣等感に悩まされているのです。

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アドラーは、それを不健全なものと、述べさせています。

もともと比較できませんので、解決方法さえ発見できない。

不幸を味わうために、あくまでも悩みを増やしているみようかなものでしょう。

「他人」 と 「自分」 を対すると、神経をいたずらに消耗 させます。

他人は無数に存在するため、終わりなき消耗戦から、抜け出せなくなるのでしょう。

それが原因で、精神的に疲れ、自分自身の成長や、重要課題への挑戦を、

あきらめてしまう人もいます。

結局に、成果の乏しい、無気力な人生を送ることになりましてるのではないか。

ということで、 「他人と自分との比較」 をやめる ことなのです。

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でも、人間とは、何かと比較しないそしたら、成長 (成熟) する気になれないものだ。

成長 (成熟) が止まると、やがて人生がつまらなくなるんです。

仕事についても、情熱や向上心が持てなくなるんです。

ではまた 「今の自分」 を、何と比較するならばよいのだろうか。

そこは 「理想 (目標) の自分」 です。  アドラーは 「理想 (目標) の自分」 と、

「実在の自分」 との、比較から生まれている劣等感は、

健全なもの と述べさせています。

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この健全な劣等感を、努力によりまして克服していけば、そこに成長 (成熟) を、

実現させることができます。

「理想 (目標) の自分」 は、必ず自分自身で考え抜く ことです。

もし 「他人の願望」 を、優先させてしまうと、

再び 「他人との比較」 の道に、逆戻りしてしまうでしょうからだ。

人生のなかで、ごく一部のことを除けば、大半はどうでもよいことです。

どうでもよいことは、周囲に合わせておけば、無用な摩擦も減り、

つまらない時間も、節約出来るのではないでしょうか。

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