アドラー心理学・他人と競争しない 6 

他人と競争しない アドラー心理学

他人とわれを対する人は、相手によりまして 「他人より劣ってる」 と感じます。

アドラーのいいますとおり、人は劣等感に耐えきれなくなったので、

早くこの状態を解消しようとします。

それで、もし相手との差がでかい場合は、

できるだけ近づかないようにしましょうでしょう。

自分以下の相手とだけ、つきあっているそしたら、

劣等感を抱く恐れがないでしょうからだ。

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逆に、もし相手との差が小さい場合は、そこに 「競争意識」 が生まれます。

競争の先には、必ず勝者と敗者 がいます。

敗者になることはないためには、自分が勝ち継続するしかないです。

また、勝ち継続しても、いつ負けるのかと、心の安まる暇がありません。

身近な人が幸せになると、自分が不幸となったと、感じる人もいます。

反対に、誰かが不幸になると、自分が幸せになったと、感じる人もいます。

アドラーは、他人と競争する人は、自分以外の人を、

やがて 「敵」 と見なす ようになった。 いくら成功しても、

「世界は敵で満ちあふれた危険な場所」 と感じると、述べさせているのです。

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他人と比較さえしないならば、他人より 「優れている」 とか

「劣っている」 と、感じなくなるのでしょう。

「他人と競争する」 という概念そのものが、存在しなくなるんです。

健全な劣等感とは、 「理想 (目標) の自分」

との比較から、生まれているものでしょう。

ということで、 「他人との競争」 でではなく、

「自分との戦い」 に、力を注ぐ べきです。

「今の自分」 と、戦うために、もう一人の 「理想 (目標) の自分」 の存在が、

必要になるんです。

かりに、理想の自分が、世界で最もつらい存在になれば、

自分以外の人がやさしく思えてくる でしょう。

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一所懸命、自分と戦っていると、その姿を見て、

「けっぱっているね」 と、周囲の人たちから励まされるものだ。

その結果、 「世界はやさしい人で満ちあふれた安らかな場所」 に変わります。

人間社会とは、本当は、すさまじい競争社会なのかもしれない。

しかしていながら、他人との競争に明け暮れると、

晩年まで、神経がもたないのではないか。

この時、あくましかし、 他人との競争に参加せず、未熟な自分とひたすら戦う。

これが 「成功」 と 「幸福」 を、両方、手に入れる方法ではないでしょうか。

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