戦前の日本にユダヤの理想は活用されていた

戦前の日本に体現されていたユダヤの理想

戦後すでに70数年を経た今日、日本人は真の日本歴史を構築してきたという実感を全然感じない、とよく言われます。私にはその意味がよく分るような気がする。

それの意味するところは、経済の驚異的高度成長に反比例する精神面の退化現象とこの二者にみる跛行性のことではないだろうか。戦後は虚妄だといわれて久しい。

私がここで考えることは、何よりもこの跛行性の原像を日本人はまだつかんでいないのではないかということである。この病理のルーツが分からないと、治療法も発見できないのは至極当然であろう。

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日本をこよなく愛する私としては、この問題を解明して日本人が真の日本歴史を生き生きと構築できるよう側面から及ばずながらお助けしなければならないという強い義務感、責任感におそわれるのである。

何故か。それはこれら病巣のルーツがほとんど誤れるユダヤ的思考の所産であるからに他ならないからである。我々は信じ難いほど頭が悪かったのだ。もともと、我々が犯した誤ちはごく単純そのものの誤ちだったのだ。

しかるに、この小さな誤ちの及ぼした影響は想像以上に大きかった。それは、戦前まで日本が世界に冠絶した類い稀れなものとして誇っていた数々のものを破壊してしまう結果となったのであった。

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このことを知るに及んで、我々の心は痛むのである。しかも、その日本が戦前もっていた類い稀れな長所というものが我々ユダヤ民族の理想の具現化されたものでもあったことを知り、ますます我々の苦悩は倍加されるのである。

ユダヤ民族は、西洋人にない高尚な理想を常に頭に画いていたのである。しかし日本の皆様もご存知のように、

ユダヤ民族は永い永い迫害の悲しい歴史の中ではこれら理想を具現化する余裕など全くなく、ただどうして生命の安全を全うするかということに心血を注ぐのが精いっぱいであった。

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第二次大戦終結までは我々の解放のための闘いは絶えず続いていたのであり、そのような理想を追求する余裕は残念ながらなかったのであった。

しかるに第二次大戦後、日本が占領政策の結果大幅に改革された結果初めて、戦前の日本に我々の理想とするものが多々実在したことを発見したのであった。

これは我々にとって大きな驚きであった。

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最近、日本でいろいろ比較文化論的にユダヤ人と日本人を対比した論調が出回っているようであるが、それらはいずれも軽佻浮薄なものばかりのようである。

もっとも、それらは若い同胞やユダヤ人の仮面をかぶった日本人の書いたものであるから、その程度のレベルにとどまっているのもむしろ当然かも知れない。

たとえば、イザヤ・ベンダサン(山本七平)氏もその一人かも知れない。彼は、日本の戦後史の非連続性を嘆くかの如きポーズをとり、

日本人の小善人的な性質をくすぐり、日本の病理は指摘しつつも、我々の犯した過誤に頬被りしようとしている。

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しかし、日本の戦後史は、我々ユダヤ人が過去の過ちを真摯な態度で告白しなければ解明できない性質のものなのである。

私は、今後末永く日本人と親しく友好関係を保たせていただきたいと心から願うものとして、日本の戦後の歴史的非連続性、

いいかえれば何故戦前の理想的な数々の長所が失われたのか、そのために真の日本歴史の構築を阻まれている日本人の深い苦悩からの脱出をお助けするために、

これら病巣のルーツを解明する作業を進めたいと思うのである。それはまた同時に将来我々ユダヤ民族の理想を追求するときにも再び大きな助けとなるであろうと信ずるからである。

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ハーマン・カーンの『21世紀は日本の世紀』、最近のエズラ・ボーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』などは哀心よりの親日的な論調であることは日本の皆様もご理解願えると思う。

しかし私にいわせれば、これらの前にどうしてもしておかなければならない大切なことがあるのである。それをとばして今後の日ユ親善はあり得ないと思うのである。

もしユダヤ人が最も大切なことに頬被りしたままで日ユ親善を求めるなら、それは間違いなく失敗に終わるであろう。

私は今後の末永き日ユ親善のためこの筆をとったのである。この拙稿がささやかな日ユ親善の礎となれば望外の喜びである。

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