もくじ
ぼくの人生に責任を負う
アドラーによれば、人は変化することができます。
しかも 「亡くなる2、3日前まで可能」 なのだそうだ。
ではさらに、 「ここからの人生」 を、
自分自身の力で変えていくためには、どうしたらよいのだろうか。
さいしょに、 「ここまでの人生」 に対し、責任を負う ことなのです。
「今の自分は、何故こうなりましたのか」 に対し、2つの思い方があるそうです。
フロイトの 「原因論」 によれば、
「過去の○○が原因で、今の自分はこうなった」と考えているのです。
一例をあげますと、部屋に引きこもるようとなったのは、
過去の失敗が原因でトラウマになった ・・・ など。
しかしていながら、同じ失敗をしても、トラウマになることはない人も大勢います。
一方、アドラーの 「目的論」 によれば、過去の出来事は関係ないです。
そこは 単なる事実に過ぎず、そこに 「どういうな意味づけをしたのかによる」 と考えます。
同じ出来事を経験しても、その事実に対して 「よい意味づけ」 をする人もいるならば、
「悪い意味づけ」 をする人もいます。
その為、問題は 「何があったか」 でではなく 「どう解釈したか」 。
また、アドラーによりますと ・・・ その 「意味づけ」 は、
本人が何がしかの目的を果たすために行われたもの だと。
たとえば、「学校や社会に出て、自尊心を傷つけられましたくないでしょうから、
部屋に引きこもる」 という目的が、先に存在しています。
その目的を果たすために、過去の出来事に対し、
本人が 「悪い意味づけ」 を、行われたのだそうです。
ということで、まずは、 今のわたしに対して、不満があっても、
過去や他人のせいにしない ことです。
「目的論」 に従いまして、 「自分が選んだ結果」 としまして、認めなくてはいけない。
次みたいにしまして、かつての自分に責任を持てば、
人生に対して主体性を取り戻すことはできる。
主体性を取り戻すことによりまして、今後の人生を、
自分の意思で変えられるようになるのでしょう。
かりに、他人に騙されまして、辛い目に遭ったとしましても、私は、
自業自得だと、考えるようにしています。
また、辛い目にあってる最中しかし、 「つくづく馬鹿だな~」 と、
自分の愚かさを、笑ってやります。
自分よりも賢明な人、苦労した人であれば、
こにみようかな失敗など、犯さなくて済んだからだ。
もし、自分自身を向上させてみたいなら、まずは自分が原因であることを、
さっさと認めてしまう ことでしょう。